連休を語る前に

愛知県では2週前の地方選挙であったが、全国平均的な投票率が40%そこそこと、なんともお粗末な数字である。お粗末と小生は思っている。選挙区によっては立候補者が定数を満たせないということで、政治と国民と言うか、行政と国民と言うか、その離反の度合いが選挙のたびごとに大きくなっている。

立候補する側の広報を読んでみると、一昔前に比べて不具合解決型のマーケットインタイプになっているなと感じる。不具合に感じていない人には全く関係が無いわけで、生活が変わらなければ投票しなくても良いかなということなのかもしれないけれど、決してそんなことはない。

お役所の方々とお付き合いをさせて頂くと、その決め事の多さと細かさに驚かされる。一つの決め事に物凄くコストが掛かっている。そんなものAIにジャッジさせてしまえば良いものをと思うものが沢山なのだが、そうでもない、これはもめるわなぁというものもある。そこにこそ代議員の思案と決断が必要なわけで、それは有権者の投票が後押しになるのは間違いないのだ。

投票してしまったら、あるいは、当選してしまったら全てがお仕舞というのではなく、投票したら、その者がもしも当選したとしたら、その活動中の責任は投票者にもあるのだ。国政において悲惨な状況になったとして、議員の不誠実な対応は全て選挙民の責任なのだ。それを共通認識として持たないと民主主義は崩壊する。地方選挙後半戦の投票率も極めてお寒いもののようだ。この国は何処に行くのやら。不安になる。