いつかは見える

夜空を彩る星々は日中は太陽の明るさに打ち消されて見えないだけであって、実はそこに存在している。人間の目に見えないだけだ。あると思って頼りにしても、梯子を外されるなんてことはざらにある。きっと小生にしても無意識に外してしまっていることもあるだろう。いや、あるに違いない。そう思ってそろそろと進まないと組織がでんぐり返る。それはいかん。

いかんのだが、人間のやることだから、そこには間違いが必ず潜んでいて、それを指摘してくれる人を大切していくことこそ、見えない組織力の源泉になると思っている。見えない心に刺さる苦言を「お灸」と捉えて踏ん張れるかを見える化することこそ進むべき道であろう。

全部が全部、見える化されると疲労困憊の世の中になりそうで、見えないで良いものは見えないままでいて欲しいと、やや逃げ腰になったりもするのだが、見えるべきものは見える化しなければならない。それが無意識に行われているようにするのが工学の一つの役目かもしれない。

見えない温暖化ガスが、人工衛星の目によって見える化されてみると、世界の経済活動の活発化と同時に温暖化ガスが増えるという、当たり前の結果も見えてくる。見えないふりをしている人よりも、見る気が無い人のほうが罪が重い。宗教家では無いが、そんな生命体にはなりたくないなと思ってはいるものの、余りにもやるべきことが増えてくると、五感も第六感も封じ込めたくなる自分が恐ろしい。そうならないように適度にのんびりしてみたいものだと、来年の満開の桜を、もう期待している私であります。