一杯の珈琲は?

一杯の珈琲から恋の花咲くこともあるとは随分と過ぎ去った日の唄だし、そもそもフルコーラスで聴いた記憶が無い。そもそも聴いたからと言って、恋の花咲く確率なんぞゼロに近かろう。とは言うものの、一杯の珈琲は心の時間をゆっくりにする働きはきっとあるのだと信じている。切羽詰まりまくった状態ではろくなことはない。やることなすことことごとく意に反し、その輪廻から抜け出せなくなる。抜け出したかったら珈琲をお飲みなさい。恋程甘くは無いけれど、不安の気持ちは少しは薄らぐこと間違いない。

温暖化による珈琲林の枯死などが昨年から多く報じられ、輸入生豆の価格が右肩上がりで上昇を続ける今、一杯の珈琲の有難味がとても大きく感じられる。旨味を超える有難味と、勝手に思っているのだが、マーケットに行くと、恐らく売れずに廃棄されてしまうのではなかろうかと危惧してしまうほどに、埃をかぶったインスタント珈琲やレギュラー珈琲が並ぶ。罰当たりな光景であり気分が悪くなる。捨てられる為に生まれてきたわけでは無かろうにと、同様に棚を埋め尽くす食品群に嫌気がさす。

喫茶店においても「何これ?」という謎の飲料に珈琲と勝手に名付け、暴利をむさぼる輩のなんと多い事か。加えて、珈琲を飲みに行った先でピーナツなどが出てくる状況は如何なものか。これはこれで良いのかもしれないが、釈然としない。長いお祈りの最中に眠気を飛ばすために、豆をかじったところからスタートした珈琲だが、眠気を飛ばすだけではなく、心地良さも獲得したいと思ったのは、自分自身、何故なのか判らない。判らないが、まぁ、そんなことが喫茶店のマスターになろうと思ったきっかけだ。

勝手に貯蓄される憂鬱という貯金を清算するには、一日、ぽかぁんと過ごすのが良い。山に逃げられないのであれば都会のジャングルでぽかぁんを作らないといけない。何も特別なことなどいらない。そこで珈琲を楽しむだけで良い。そんな一日を皆様に持って頂きたいと願う私であります。