人口減少で何を獲得するのか

台風ではないけれど、大雨にせよ、強風にせよ、この地球のエネルギーを人間生活のエネルギーに換えられないかと、先人たちは水車や風車を回した。回転エネルギーを様々な加工の道具の運動に変換させ、CO2など一切排出しない加工技術を確立していた。それは実に見事である。一方で、その頃の日本に限って言えば、人口は3千万人程度であって、今の1/4程度である。江戸末期に日本に来た外国人は、勤労の習慣が無い国と評する一方、この国ほど幸せに満ちた国民を他に見ることは無いと記述を残した程の国家であった。

海外の機関活用型エネルギー発生で、紆余曲折しながら500兆円超えのGDPに、1990年代には到達した。この頃が、正にピークであり、その頃の戦士の方々がリタイア世代に回ってきているわけだが、もう10年するとそれを現役で知る人は、社会を引っ張るステージから下りることになる。ステージは上るより下りるほうが大変だ。上る前よりも一気に落ちる可能性がある。それをどう食い止めるかが今の日本の有り様だと考えている。

ほじくれば無限に資源が地面から湧き出てくる時代と言っても良かったのかもしれない。いや、無くなることは知っていながら将来のことなどほったらかして、今を謳歌されたのかもしれない。と、言うか、小生は学生から教職に移る頃だったが、いけいけどんどんであったのは間違いない。24時間働けますかというのが入社の条件だった気がする。全員がそうだったのだ。ブラックなどという概念は無かったわけだ。

人口減少というステップによって日本が何処に向かうのかということだ。人類的には縄文期から弥生期への農業改革による人口拡大によって、精神的革命期の終焉であり、江戸から明治へ向かって心の革命期の終焉があったわけだ。次のステップにおいて何を失い何を獲得するのかということである。倫理観だけは失いたくない。三方良しで良いではないか。自分で考え行動する。基本に立ち返り、明日、成すべき行動が将来を築くことを考える。そんな時代である。