頑張り

「頑張っています」と「儲けます」という言葉の意味は全く違う。字面だけではない。その結果が定量評価出来るか出来ないかだ。延々と机にかじりついて「長時間職場に滞在しています」というのか「契約が増えた」という違いとなって現れる。農家の方々の「頑張っています」というのは、単位時間にどれだけの土地の面倒を見ているかであって、収穫や品質となって必ず還ってくるから尊い。それが天災で失われる事を自分事と感じることが出来るのは、その為だ。

祖父から聴いた「頑張る」という言葉の意味は、我を張ることは自分だけの為にやることだ、我を張って生きてはいけないと教えられた。辞書を引くと(最近、こればっかりだ)同様のことが書かれているから、そのように用いられたこともあるのでしょう。「あいつは頑張っている」とは軽蔑の意味だから、人に対して言ってはならない、自らの努力で結果が出ない時、それは単なる頑張りだったのだと思えと教わった。

「気合入っているな」と、小生の口から出てくるのはその為であって、いずれ芽が出て花が咲くでしょう、それはお付き合いをさせて頂いている人が愛でるためのものでしょうという気持ちであって、冷やかしでも忖度でもなんでもない。気持ちを人と合わせようとして力むのが気合なのだと思う。社会の中で活かして頂いているならば当然の活動である。

工場にある一つの機械でも良いから、活動状況を知るためのセンサを付けて、稼働率を見てみると良い。頑張りが定量化されて出てくる。電源が入っている時間を見るのではない、製造に関わる行為が成されている時間を見ないといけない。刃物がワークに当たっている時間がそれに当たる。より上を目指す時、そこには頑張りではなく気合が必要になる。新しい事に挑戦するには気合が必要だ。自らに言い聞かせる。そんな毎日だ。