思い切り

思い切るか切らないか。「思い切る」を辞書で調べると、諦めきれない思いを忘れる、決断して行う、ためらいを捨てる覚悟などが出てくる。時間的不連続を生み出すほどの活動、思想の転換が成されることと感じる。思い切るとはそれ程の行為なのだろう。思い切ったことがどれだけあるのか。自らを省みて恥ずかしくなったりする。

男子はディレクトリ保管、女子は上書きという恋愛論を伺ったことがある。思い切れるのは女子の強みなのかもしれない。先日、お伺いさせて頂いたお企業は、正に、代替わりの社長殿が思い切られ、今日の活況を創られたことは事実である。男子は存外、踏ん切りも思い切りも出来ない生命体なのかもしれない。だから胃潰瘍だの十二指腸潰瘍だの、ストレス病に悩まされ、結局は早死路線まっしぐらだ。

民族大移動を遂げ、争いの後に生き残った西洋の国々の民と、あゆみの果てに辿り着いた島国で、内乱の後に同じ民族で生き延びた日本の民とは、思い切り方が違うのかもしれない。次世代自動車開発に7兆円を投じると報じられた独フォルクスワーゲンだが、我が国の同業者はどうなのでしょうね。思い切れず共倒れの方向に向かっているような気がする。

変革は恐ろしい。自らが成そうとすると更に恐ろしい。恐ろしく感じるから行動に移す価値があるのだろう。思い切らなければ前進する恐怖に出会うことは無い。しかし、後退していく辛さを身をもって知ることになる。未知の恐怖と既知の辛さ。結局のところ思い切りだ。進化し続ける世界に新しさを発信し続ける覚悟。それが必要だ。巻き込まれるより巻き込む。活路はそこにしか無い。そう思う。