最近、ひょんなことから学術雑誌に投稿を依頼され、ごく限られた時間を積分して形にさせて頂いた。レフリー氏とのやり取りに四苦八苦するのはある意味快感で、自分を客観視させて頂く機会を頂戴したことに感謝するのだが、一方で、公務との両立の困難さを感じたのも事実である。公務か研究かと言われれば、立場において重きを置くべきは公務であって、研究ではない。しかしながら名誉職であった副学長職の時代では無く、両立は小生のような無能者には不可能で、二足のわらじは脱がねばならぬと叩きのめされた気分である。
3人寄れば学会と言っていたのは、学生時代の恩師であるが、要するに、世界初の学説を唱えたとしても、世界で広がる学術的繋がりを考えれば、同時にあと二人は同じ学説に到達するから、その学説がもしも人を引き付けるものであるならば、学会が出来るであろう。だから3人寄れば学会なのだと。誰が一等賞になるかという事ではなく、新奇なアイデアを説得力をもって学術誌に提示し、賛同者を得る行為は学者であれば当然の行為である。それが学術誌の競争力であり、その指標がインパクトファクターである。
進化が極めて速い分野によっては、国際会議論文のインパクトファクターが重要になる場合もある。若い科学者が日夜思考を重ね、それを議論する場はエキサイティングである。そんな時代もあったねと、自らを振り返る寂しさもあるわけだが、大学そのものが無くなってしまう恐怖に打ち勝つためには、懐かしんではいられない。
予告無しでやってくる「明日来い」の本社命令であるから、先取りして思考を進めておかねばならぬ。更には実行事実が無ければならぬ。同時並行で進めなければならない業務が多過ぎて、目こぼしも発生してしまう。それをIT技術でカバーしたいのだが、協力者の賛同が得られないと進まない。強権でどうなるものでもない。全ての構成員が正しく、また、意見が分かれる。学会は3人で出来るが、業務は全構成員の了解という思考で生き抜けるのか?理想はそうだがそれで良いのか?日々悩む私であります。