計算機と人

高校生の時、数十万円というリンゴ計算機に触った。同じような価格のHP電卓が神様の機械みたいに見え、計算機と言えば、紙テープやカードを読み込んで何かの結果を出してくれる魔法の「建物」だった時代である。小型になって誰もが持ち歩けるサイズになったことは進化なのだろう。それでも「不調」は繰り返されるのだ。

テキストベースのWWW回線がガマの油売り地区に早期に張られ、数少ない資格を持った者が、海外の加速器研究施設と交信し、データ解析が双方で行えるようになった時、「全てものものがこうなるんだろうな」と朧気ながら思ったことを覚えている。FAXだのテレックスだの猛烈に高額な金額での海外とのやり取りが、瞬間に低料金で行えるようになったのを目の前で見た。

NECの売り手寡占状態がIBMの「DOSV」戦術によって破壊され、一般民間人が購入出来る製品に価格が下がった時、既に、その性能という点において、我が国はガラパゴス化していた。最大の問題点は、PCを扱うリテラシーが極一部の人達にしか無かったことだ。PCを使ったらこんなにいろいろなことが実現できるという思考回路を生み出す土壌が潰されていたことだ。NECの独占思想が日本人のPCリテラシーの貧困を生んだ。

まぁ、被害者意識はひがみ根性なだけなので置いておくが、ネットワークという必須の環境が極めて遅いことに苛立ちを感じるのだ。メンテナンスで止まるとか、遅くなるとか、それに対してまで発狂する人が居るが、小生はそれはやむを得ないと思っている。しかし、定常的に遅くなっていると話は別だ。そうなると予備機を立ち上げ、メインのリフレッシュ作業に入ることになる。なんだかDOSVの時代から変わらない儀式。Fdiskコマンドを使うわけでは無いが、まぁ、機械だから仕方がないと、嫌がらない自分に苦笑いしているところである。