Windowsで時々日本語IMEが立ち上がらなくなり、ローマ字の羅列でがくっとくる。時々発生するので「またか」ということで、右クリックでアイコンをタッチして、復活させて忘れ去る。流石に社会がこれだけ騒いできて、名古屋もかなりの危険性をはらんでいるとなると、帰宅後の石鹸での手洗い、うがいを欠かさないようになる。と、言うか、元々そうだったのを意識するようになったということかもしれない。
徐々にではあるが、身の回りの物品を断捨離し始めた。ただ、世間で言う程の断捨離には程遠いのだが、それでもコツコツと捨て始めた。ゴミの分別出しのルールが無ければ片っ端から捨てているかもしれない。きっかけは電気スタンドである。このスタンドには若干の想い出がある。31年間、手元を照らし続けてくれた。
大学院の4年生の時(小生は5年制大学院であった)、就職活動を始めていたわけだが、とある電子部品メーカーの門を叩いたら『あんたはうちなんかに来ないで、もっと学問を追求しなさい』と、当時珍しかった、高周波でちらつきを抑えるという最新型の同社製品をプレゼントして下さった。31年、一晩中働いてくれたのだが、いざ、退職届を出したら途端に高周波チップが壊れた。分解チェックはお仕事柄で、これはご臨終だなと。
言霊である。学問を追求し続けた間は手元を照らしてくれたが、そのお役を去るとなった途端のお別れである。終わりが始まりとはよく言ったものだ。感謝の一言である。電気製品が30年以上も動き続けた。勿論、省エネという観点では外れる製品だから、利用が正しかったかどうかは分からないが、それでも想い出は美しいのだ。そんなものづくりにいろいろな形で関わりたい。信念として持ち続ける。そんな想いだ。