何が新しいのか?

鶴舞大学は6月1日から様子を見ながら研究活動の再開ということになっている。研究室活動は基本的に「実験現場」では中止して、学外からのコロナ禍流入の確率を下げる努力をしている。にも関わらず、県の緊急事態宣言が解除された日から、どどっと人が増えている。学外からのアポ無しの来客もあり、お断りをさせて頂いているにも関わらず、突如として訪ねていらっしゃる。ルール違反である。ルール違反者にはそれなりにご対応させて頂くので悪しからず。もっとも、ご同輩が多数いらっしゃるので何ともはやである。

新聞紙上等でアフターコロナという記事を多数目にする。多くが、在宅勤務にシフトした部署が、元に戻ってはならないと警鐘を鳴らしている。賛同するところである。現状技術を維持して、次を迎えるなど有り得ないのは常在戦場の企業のお話と考えては大間違いで、これだけ発達した仮想空間を最大限に使わずしてなんとするかである。また、組織を主役にせず、自らの自由を求める者の存在理由も確実に失われてきている。いや、そのような方は組織に拘わる必要は全く無く、今、飛び出して挑戦することをお薦めする。日本の何処にもしがみつく所は無い。

連休中に話題になっていたが、粗大ごみの持ち込み役場に長蛇の列が出来、この機会にこそ身辺整理を成さる方が大勢いらっしゃった。小生もその一人であるが、未練たらしく、だらだらと延々と続けている。趣味の領域に入ってきているとも言える。新しい事を興そうとしているわけだから、古いルールに消えていただくことが必要だ。自分自身が一番消えるべきなのだろうと解って入るが、だらしがないからのうのうと残っている。悲しいことだ。

何が新しいのか?常に問われることだし、歌にもなった。データという金融よりも高付加価値を生み出す可能性に背を向けて、ハンコにしがみつき、紙を愛し、出勤することに喜びを得る生活って何を生むのでしょう?旧態依然の状況にあるのは間違い。ト書きに進行役を縛りつけ(好んで脱線するけど)、決まったゴールに落とすだけの会議であればやらなくて良いのだ。多くの組織がその状況から脱するのだろう。その時、溜め息をつくような状況にはしたくない。そう願っているところである。