明日への希望を

スモールビジネスの連立によって、新規商品がユーザーにダイレクトに届き始める時が来たら、それは日本のものづくりのあり方が変わった結果と、後世、語られることでしょうと、小生はとある原稿に書かせて頂いた。試作ネットや糀谷周辺のことではない。あれは現行のチェーンで注文をこなしているだけだ。親元が居て、そのために残った皆を束ねて、胴元でございと言いたい人が多くいらっしゃるわけだが、明日の商品が昨日までの技術の積分でですとと言われて、明日を夢見る若者はいない。それを期待する商社も居ない。

タイムマシンに乗って、過去の栄光を語る方の何と多いことか。一方で「この人は凄いな」と感じさせて頂ける方は、過去の想い出であっても図抜けていて今も誰もその領域に到達していないし、あるいは、今この瞬間をどんどん過去にしていっているお話を聞かせて頂ける方である。日本社会で叩かれる方々はそんな人達だ。加えて、そんな方々は、自分の成したことに謙虚だ。それは既に過去であることを知っているからだ。

本で知識を得ることは、我々にとって多くの著者の考え方を学ばせて頂く上で、大いなる修行である。何も新しいことはないなと感じるのであれば、それはその著者と同様の人生を歩んできたということだ。そこで安心しているのであれば、貴方の代わりはその著者がしてくれるのだから、貴方は不要ということになる。そう成らないためには、もっと瞬間を強烈に生きなければならない。精一杯ということだ。目玉がでんぐり返るくらいに頑張ってみることだ。

タイムマシンのお話をしたが、ターミネーターは何故強いかと言えば、未来から来たからだ。今、この瞬間は、昨日の同じ時刻からすれば未来なのだ。想像も出来ない自分になっていたか?そうではあるまい。しかし、人にそんな気持ちになって頂ける衝撃を、どかんと発信出来るような、そんなイメージを抱くことが出来るとすれば、是非、人に分かち合って頂きたい。そんな瞬間を作り出してみたいものだ。それが希望である。