量産品はプレスでねって、何かのコピーみたいだけど、事実、自動車部品がどれだけの数、プレスで作られているか。逆に、プレス製品が多くなれば、その分、ユーザーの購入価格は下がっていきますな。まぁ、無限に下がるわけではないので、親方企業の取り分が増えるというところか。極力個性を無くしていくことが重要で、個性があると使っているうちに想定外の挙動によって人身事故などをお越しかねない。製品の安心を生むプレス製品の物凄さは、工場の現場で拝見しないとわからないかも知れない。工業製品が到達した一つの頂点と言えると思う。
個性を無くすという点において、素材があって加工があって利用があるとすると、その間には最終製品に求められる保証を満たすための管理があるわけだけれど、誤差○%で歩留まり99.9999%みたいなものが工程表に示されるわけだ。ただ、歩留まりという単語で商品づくりの過程が語られている内は、我が国の工業製品の未来は無いなと本気で思っているわけです。不良品が出るわけでしょ?材料は工程に必要なエネルギーが全部捨てられるわけだ。ちっともエコではない。エコであって安心であることの意味は、不良率という単語が無くなることを目指すところからだ。
こう言うと、鼻で笑われるか、目くじらを立てた人に追いかけ回されるかどちらかになるわけで、そんなこと出来るわけ無いだろうと罵られるわけですな。でも、小生から申し上げれば、それでは何故、不良が生まれるのですかと問いたい。40年選手のベテランが、独自の腕前で高い技術を発揮されていらっしゃるのであれば、何故、不良が生まれるのですか?出してはいけない不良が何故生まれるのか。人だから当たり前、その通り。それではその当たり前を排除するにはどうすれば良いのか?
一人の人が気が付かないことがあるから不良が生まれるとするならば、愚直にベテランの技術を数値化して、それを後世に伝えませんか?それがベースであって、これからの技術をそこに乗せていかないと、もう日本の工業製品を買ってくれる国は無くなってしまいますよ。本気で思っているわけです。もっと人の育成に国がお金を投入しないと、ベースの知恵が下がっていくようではお先は無いですな。目の前の雇用云々どころでは無いのです。とっくの昔に起こっているはずの世界が今目の前に広がっているだけなのです。そう思います。