100歳時代考

明日が今日の延長としてやってくると思っていると、突然、足元をすくわれる。海外ではよくある「もう、今日まででおしまいだから」という一言で、次の職場を探さないといけなくなる。今日、年功序列だの、終身雇用だのという制度は無きに等しく、内定なんてものは無きに等しく、まぁ、そうだったかもねと、はしごが突然無くなったりする。外されるどころか、気がついたら戻る場所がなくなっているなんてことがよくある。

ミッションを達成していれば、まぁ、青天の霹靂確率は30%程度に低いものだろうが、それでもその程度は常に覚悟をしていないといけない。小生とて常にそれは感じているし、明日、どうやって食いつなごうと常に身構えているというところが本当のところだ。あやうい身分であるのは間違いないのだ。それは誰しもがそうなのだ。

とあるところで「人口が減って、人生100歳時代なんて言われるのだから、勤務延長が伸びに伸びて、ずっと同じ職場に居られるのですよね」と魂消た意見を仰る方に出会い、度肝を抜かれた。人口減少が続き、前年度から50万人も減少する国である。人口減少が前提となって心豊かな人生を歩める方向に舵が切られて行くだろう。それは高齢の方が延々と若い感性が必要な職場に居続けられるということではないのだ。

昨日からお硬い戯言になってしまっているわけだが、要するに地球的俯瞰力から自らを客観視しましょうよということなのだ。自分の価値観で、他人の目のふりをしたとしても、それは自らを見つめ直していることにはならないし、自らの定規で目標を設定してそれを達成しましたと言われても、あぁそうですか、それは組織の方向性とは違いますねとなるだけなのだ。自己満足は要らない。想像できる他者満足も要らない。黒子の意味を考えてみるのが良い。それだけの話である。