もっと頑張れるはずだ。そう思うならば別のステージで頑張るのが良い。いやいや、まだまだだと思えば、その場でもっともっと踏ん張れば良い。ただ、まだまだだと思う基準が、自分だけの汗の多さだったりするのであれば、それは基準の見直しが必要だ。課題を見つけてそれを解決する企画を作りました、それを達成しました・・だから何?ということだ。あなた無しでは提案出来ない企画はなぁに?それが企画である。課題発見能力や解決能力は日々の生活で既に会得しているでしょ?それを評価しろと言ってもねぇ。
芝生の広がる広い公園で、さぁ遊んで良いよと言われた途端に走り出す子と、座り込んでつまらなそうに何かを食べたいと泣き出す子と。後者が圧倒的に多い気がするのだ。行き先が決まっていれば歩けるけれど、さぁ、何処に行っても良いよと言われた途端に、人の目を気にして何もできなくなる子。まぁ、後者の子供が多いから、親としてみれば、親同士でひたすら話し込んでも、子供は公園の柵を飛び出すこと無く、安心していられるのかも知れない。素晴らしい調教ぶりである。
三つ子の魂百までだから、大人になれば変わるでしょと思っていても変わらないのだ。やんちゃな大人は、子供の頃もやんちゃだったのだ。傍から見れば小さいが、当人にとっては大冒険の繰り返し。髪の毛が何処かに挟まれば、ガリバーが縛られたシーンを思い出して、もう、意識はファンタジーだ。ファンタジーと言えば電脳の仮想空間の中だけと教え込まれて育ってしまえば、見せかけの企画づくりに終止するのでしょうね。
ゴールが見えた途端に走り出す大人。ゴールを夢見て突き進む大人。子供の時から決まっていると、そう決めつけてしまうと見も蓋も無いわけだが、実際のところそんな気がするのだ。「こんな世界だったら素晴らしいのに!」と心の底から湧き上がる想いこそ課題であって、イノベーションである。その想いを描けるか、課題を発見するだけか。そんなところに日本の行く末が見えるようである。