講演会でバックキャスティングとYK氏と語ったのは、もう、何年前だろうか。少なくとも10年は経過しただろうか。当たり前すぎてそれなりの人の口からそれが出てくると、なんだか古風で、その後から出てくる言葉も陳腐に感じる。事実、陳腐なことが多くて、考慮・考察は成されているが、思慮というものが見当たらない。ナイチンゲール氏の看護はもう古いのだなどと、コロナ禍時に威張る輩の「民度」の何と低い事か。方法と様式を一色反にして、バックキャスティングの出発点、即ち、目指すべきゴール設定を考えたことが無いのであろう。
昨日の日経新聞のトップ記事に、介護用ウエアなどの隣国依存が世界的に大きく、日本に至っては95%を超えるというようなことが示されていた。マスクショックで少しは変わったのかと思っていたのだが、結局、設備投資に繋がるようなことはしないという、従来の方向性をしっかりと捉えた経営環境で、日本は安泰だ・・ということになるのでしょうね。天変地異の激しさを見て、食料自給率を変化させようとしているという話もない。我が国にバックキャスティングという単語は無いのだ。
記憶に残っているのだが、コメが余っているから減反しましょうなんて言っていたら、冷害で新米が足りなくなって、海外からお米を入れて頂いたら、美味しくないだの公言する人々がTVを賑わせていた。これなどもなんと情けない事かと思ったものだが、結局のところ、場当たり的で少なくとも数十年スパンでの思考が成されるための思慮が無いということなのだろう。
実際のところ、日本は一体何で儲けているのかさっぱり分からない。工業製品出荷額などということを言っているのではない。幼稚園や保育園のセキュリティが高くなったとか、小学校にIT機器が全ての部屋に完備されたとか、そんな話は出てこない。人の命に税金を投じていますなんて、当たり前のお話も聞けない。結局、国が儲かっていないということに相違ない。国の私物化はもう止めませんか?そう思う。