オンライン人

常に周りに人が居ないと寂しくて仕方がないという、若者からのアンケートが上がっているが、一方で、SNSで繋がっていればそれで良いという声も大きい。教育・研究の効果が下がり過ぎるから、オフラインでの講義を実施しろと本社は叫ぶわけだが、世界的企業に置かれては、完全にオンラインで業務に取り組むことが出来る学生を大学は排出せよと仰る。まぁ、そりゃぁ、そうだろう。

視野は狭くなるのかもしれない。生きていくうえでの思いやりの幅を広げるためには、様々な現場における不可思議なやり取りを体得しておくことは無駄では無かろうと感じている。何等かを思いつくのは、そんな経験が役に立っているからだろうと、年を重ねてきたからこそ納得する。

それではオンラインだけで生活している人は、思いやりは無いのか?そんなことは無い。炎上しないような発言は出来るし、いや、炎上させる仕掛けも生み出せる。凄い能力である。一個人が関わることが出来る人間の数を遥かに超えた影響力だ。新しい思いやりの形であろう。それを思うと人と出会ったことが無い人が起業して、多くのサービスを提供していく時代に入ったと思うのだ。

今までだって「誰が買うんだ」というものは沢山あった。全ての人に価値があるなんてものは無くて良いのだ。前提を根底から変えないといけないのだ。それなのに、日本人だからこうあるべきだなんて考えなくて良いのだ。自分の満足は何故生じるのかを定量的に意識出来て、それをオンラインで共有して頂く発信が出来れば良いのだ。オフラインで逢えないと人の為に自らがあるという意識が生まれないというのは化石的発想であろう。時代は劇的に変化している。そんなところだ。