漱石に夢十夜という著作がある。大それた例を見るまでもなく、夢というのは不思議な世界を創り出してくれる。大抵、夢で良かったということで終わるのだが、「夢とは深層心理が・・」どうのこうのと仰る専門家もいらっしゃって、夢を語れるなんてなんて素晴らしい学問なのだろうと思うのだが、夢の時間まで仕事に追いかけられ続けていると常に疲れ切った状態になる。

打ち合わせをすると鞄が無い。ホテルに置いてきたことに気が付く。ホテルに戻ろうとするのだが、何故かそこは3つ隣の駅のホームなのだが、線路が沢山あって、乗るべきディーゼル車(何故かディーゼルであることが多い)はたった今出発した。焦ってホームの反対に停まっている車両に乗り込むと、山が見え始め当初の目的地とは全く違うところを走っているのだが、それでも落ち着いて、次の駅で降りて歩けば環状七号線の〇交差点に出られるななどと思っている。

改札口を出ると廃工場の中であり、施錠されて出られなくなってしまう。構内を見渡して、隙間を見つけて抜け出して立ち上がる。布団に立ち上がる自分を見つめて「あぁ、夢であったのだな」と気が付く。妙にリアルなのだが、鞄を忘れるとか試験の時間に間に合わないとかそんな夢ばかりをみるのだ。ずっとそんなことを気にしてばかりいたことの記憶が、それこそ深層心理として結像するのかもしれない。

その昔、決まった日に決まった夢を見た。最近は見なくなってしまったが、恐ろしい程にリアルで、夢の風景が脳裏に刻まれている。起きている方が楽だ。自らの意思で進むことも諦めることも出来るから。夢は恐ろしい。否応なく現実が迫ってくる。それは必ず悪い方向に行く。夢の中で夢であることに気づいても、まだ夢であって、そこから脱出してもまだ夢であった。夜は恐ろしい。眠らないのはそのためだ。