最近、コミュニケーション問題に揺れまくっている。というか、凄まじく時間を取られるのに「何故、このようなことが生じるのか」と思考回路を持って行かれている。プレゼンテーションとは何かと学生諸子に問うと、パワーポイントシートを使って発表することですと真顔で応えられてしまう。良くぞ企業の採用に通ったなと、お企業様に頭が垂れるのだ。「相手にYesと言って頂く事」、これがプレゼンテーションである。
そもそも論なのだが、そうであれば根幹に相手と共通言語を持たねばならぬ。相手のフィールド、ビジュアルの中のキャラクターになり切り、お互いの言語でゴールを共有できることが第一歩である。ゴリ押し、無理強い、泣き落とし、脅しが近年の手法らしいのだが、小生はそれは全く受け付けない。一方、こちらとしても懸命に頑張るのだが、聞く耳持たずシャットアウトされることも多くなってきたと感じている。
何故、聞く耳を持って頂けないかと言えば、恐らくだが、期待感を持って頂けていないこと。こんな野郎に時間泥棒されたくないと思われてしまえば、耳を閉じられる。過去のやり取りなども含めて、期待をして頂くことは出来ない。当然なのだが、相手の価値観を揺すぶるくらいの投げかけを事前にしておかねばならぬ。敵を知り己を知るという古来からの手法は今も生きていると思っている。
単に情報伝達では勿論無いのだ。最初に申し上げたパワーポイントシートで発表することなど、相手の意識に乗せようという意識が無い者の戯言である。自らの価値観を揺さぶって、明日に向かうことは勇気がいる。変化は恐怖と同居するのだ。それを乗り越えさせる強烈で猛烈な瞬間こそプレゼンテーションの根幹である。勇気と根気、魂の糸電話が出来るか?そういうことだ。