おせっかい考

「いやぁ、よく気がついて下さいました!」と有難がられる(形式的なんだけどね)場合と、「何だよ、解ってたよ、おせっかいだなぁ」と煙たがられる場合と。これって紙一重、タイミング次第。そうなんですよ、結果は同じなのですが、隣の人の顔面筋肉の硬直具合は、タイミングによって全く違う。結果は同じなのであれば、笑顔だけの結果で良いのに、選択肢があるところがややこしい。

アマゾンで買い物をすると現れるオススメというやつ。あれなんかは画面にズラッと出てきて、間違いなくおせっかいなのだけれど、イラッとしたことはない。有り難いとも思わないが、何故なのだろうと考える。小生的な反応はどうでも良いから省くとして、なんか加賀屋の接待なんて書くと、その筋のファンの方からどつかれそうだが、先回りしてそれとなく、気づく、気づかないのギリギリの気づく方向でのサービス。

日本古来のあり方のような気もするのですが、それが全面的に押し付けられると、有り難くても、おせっかいの気持ちの割合が強くなる。誰でも知っているダイヤモンド結合の混成軌道という単語だが、何が混じり合っているかと言えば誰かのためだけにある電子と、お互いを橋渡ししてくれる電子との通り道がある割合で重なり合っているということなのだけど、有難うとおせっかいというのも、なんか、ある割合どうして常に共存している感じがするのだ。

純粋に感謝の場合も、おせっかい!という場合も有りうるが、人付き合いの中ではそれが共存しあっていて平和を保っているのではないか?時にはおせっかいは止めて欲しいと言わねばならぬ時もあるのだ。政治の世界では沢山ありそうだけど、それを言わないでほったらかして、どうしようもなくなっていることに出会うことが多い、悲しいことにね。その度に、そんなところに首を突っ込んで、おせっかいな馬鹿だなとは想うのだが、まぁ、それは仕方がない、キレイが一番だ。まぁ、そんなもんだろう。