水蒸気が多くて、秋らしく無く、スカッと遠方の山並みが見えない。精々、猿投山塊までである。例年、11月も半ばを過ぎれば恵那山は勿論、御嶽山も見えて普通である。妙に暖かい。暖かいと言うか散歩をしていると暑い。10月初旬程の気分である。しかしながら紅葉は間違いなく進み、木々は冬支度である。ふと、見上げて、空の色は縄文の皆様と同じ色だったのかと、「空の色は変わらない」という詩人の一言って本当なのかなと空想した次第。
現時点では3.8cmずつ遠ざかる月であって、地球と月の引力バランスが主に効いてくる。45億年前に惑星衝突で地球から飛び出した岩塊起源の月であって、その時の放出角度、速度が今持って関わっていることが愉快である。その当時は年間大略20cm程の勢いで離れていったらしい。遠ざかる力も次第に弱くなり十数億年の後には一定の距離を保つそうで、人の寿命からすれば宇宙のイベントは大きく、そしてゆっくりしていて安心である。
縄文初期の皆さんは今より平均400m程近い月を見ていたわけではあるが、楕円軌道を取るお月様はただでさえ5万kmも近づいたり遠ざかったりするわけだから、月と地球の平均距離の変化程度で空の色が変わるわけはないなと、天文学の観測結果を知ってしまうとどっちらけてしまうわけだ。神秘が解明されるとそれだけ、頭の中の物語が狭くなるなと、興味を持ったらそこで踏みとどまることも必要だなと、定量的な観測こそ大切だなどと、日々、叫んでいる人間とは思えないロマンチズムだ。
面白いと思い込めるから研究に打ち込めるわけで、そのきっかけはほんの小さな不思議感覚だ。知らないだけで既に解明されていることであっても、知らないことで楽しむ事が出来る世界は広くなる。大切なのは純粋に何にでも楽しいと思える心なのだと思う。格好を付けることではない。何でもキレイに話を纏めることではない。プレゼンなんて後で良いのだ。人の目ばっかり気にする人ばっかりに為った時、愉快な科学は無くなるのだろうと思うより、自らが面白がり続けようと思う、ちょっと霞んだ秋の空を眺めて思った私であります。