臆病の薦め

理想とかそんなものは叶わない。しかしながらそれを胸に抱いていないと、座礁続きの人生の航海において、再び船が動き出せるか、永遠に夜が明けない朝を待つようである。お気軽が一番なのだが、達観ってそうそう到達できる代物ではない、境地ではない。異様に増えきった人類にどんな未来があるのか、生命として不安は多いが、日は沈み夜が明ける。これが繰り返されている間は、なんとか頑張らないといけない。

毎日、絶滅している種があるというが、ウイルスまで生命に含めると、新種の誕生は絶滅を上回っているのではないか?『新型』コロナウイルスとか人間は勝手に命名しているけれど、具体的には新型の中に更に新型が重なって、もう、何がなんだかという状況ではないのか?分析技術が進み正体は画像化されてはいるけれど、人類を叩きのめしているその本質には誰も到達していない。あっという間に世代交代する種に、数えることが出来る数しか種の分化が成されていないものが勝てっこない。

偶然という人間が作った適当な言葉に望みを託すしかないのでしょうね。偶然に生きている、偶然に助かった。まぁ、交通事故も感染症も、致命傷から立ち直っていくという点においては似たようなことかも知れない。どちらも偶然である。ただ、偶然に何かに出会う確率は下げることが出来ることは、そうだと思う。偶然に確率をもっていくのは間違っている考え方だと解ってはいるが、まぁ、臆病が一番だということだ。

『良い』臆病を徹底することは案外大変だ。つい、天狗になって人は挑戦を選択してしまうのだが、それをぐっと堪えることが出来たら、朝日を浴びることが出来るのだ。何が大切なのか。絶望的な状況の中で、その暗黒に捕まるか捕まらないか、結局は臆病が一番なのだと経験は語るが、人は挑戦を美徳とするからいかん。経済などという言い訳をするからいかん。学びを止めてはならない。それは臆病でも出来る。それで良いと思う。きっと明日はやってくる。そんな人にはね。