自らを刮目せよ

日本で最初に技術経営に着手されたのは本居宣長さんだろう。宣長さんと言ったって一緒に呑んだことは無いのだが、その博学多識ぶりは菅原道真さんの再来とも言えるのではなかろうか。道真さんは出世欲が強すぎて時代のレールから飛び出してしまったが、宣長さんにいたっては、かっとなって刃傷沙汰に及んだ最初の学者と言って良かろう。なんでも最初は偉い・・・かなぁ?

技術は知財をもって認知され、そして価値を生む。知恵を形にする。それが価値である。価値に対価を払って頂ける世の中は正しいし清々しい。心を盗む泥棒はこれまた清々しいが、知恵を横取りする輩は嫌らしい。新しいふりをして世間を闊歩する輩のいかに多いことか。まぁ、そんな者は気にしないのが寿命を延ばす秘訣だが、そんな連中に限って目立って視界に入ってくるから嫌らしい。

技術がお金を産まない日本において、泥棒一族がはびこって、更に国を疲弊させる。博士課程への進学者の数が年々減少しているのも努力と知恵にお金を払わない日本の体質故だろう。歯の食いしばりと血の滲みに敬意を払わない。そんな国に何時からなったのだろうか。学びの末に妬まれ、育ての親に捨てられた道真さん以前から、ひょっとすると日本人のDNAの中にそんな遺伝子があるとしたら自らを消滅させても余りある。そんな世界はまっぴらごめんだ。

努力。良い響きだ。我を忘れ生きていることにすら執着せず、ただただ純粋に研究に打ち込んで、一年に二、三日も体を横にしない、そんな日々を体と心に刻んできた。評価だけを慮り、自身だけが努力していると己惚れている君よ、刮目せよ。孔雀の羽はいらぬ。血と汗で応えよ。先哲の名が残るのはまさにそれだ。それだけが正しい人の姿だ。だからそれに倣う。真似るべきは偉大なる魂だ。それだけで良い。