思い違い

記憶をひっくり返してみると1986年前後だと思う、インターネットが大学に入ってきた。大学と言うよりも、加速器のメンバー同士でデータを共有するにあたって、テキストベースであれやこれやとデータに関してやりとりしていたことを突然想い出した。誰が何を言うとか、どうでも良くて、このデータは正しいですかという、観測技術に疑いをもって、そして何かを得ようとする、それが、当たり前であった。

今、政府の皆さんが押し付けるのは、病床があふれるから、何故だか熱も出さないような若者は感染者カウントから外して、まぁ、回復すれば良かろうと、人数にも入れない、それが日本である。諸外国ではあり得ない、自国の自虐である。

先日、パンクしたタイヤを交換して、街中を走ってみたのだ。新品のタイヤは心地よく、地面をリズミカルに弾いてくれる。ブレーキを掛ける度に、ぐぐっとスリップして、部分的にゴムが無くなっていた以前のタイヤではなく、八事の坂を心地よく下ってくれる。それが大切。ぐっと筋肉に力をこめながら、そう、額に汗しながら進むことが良い。

汗ってなにかと言えば、努力の決勝だと思うのです。威張って若い連中を奴隷化することが価値では無い。当たり前なのだが、そうしたがる方がいらっしゃる。嫌である。でもいらっしゃる。はてさて、どうしようか。