二条河原落書

ふと思い出した。二条河原落書。リズミカルで、当時の「粋」を感じる風刺が、妙に記憶に残っている。今、それと同じですねなどと言いたいわけでは無い。結局、暴力の結果生まれた建武の新政は、群雄割拠の乱世になり、そして徳川一強で抑え込まれ、明治維新というクーデターで軍国主義を生み、新しい「近頃都で流行るもの・・」みたいな雰囲気に繋がっているなぁと思った次第。

古きことが繰り返し成され続けているなぁと。何でなのでしょうね。海で周りを閉ざされて、先の大戦まで外国に政治を奪われるまで、国の在り方に対して新しい学びが無かったということなのでしょうか。話題にする人は時々出会うのですが、イスラエルという国の先進への挑戦は、我が国と真逆の環境で育ったものなのかなと感じたりする。新しいアイデアを尊び、それを形にしていくパワー。

エリートを認め、努力した成果を定量的に評価し、それを更に伸ばそうとする風土。一方で、何が何でも過去に立ち戻り、新奇を嫌い叩き潰す思想。自動車業界と半導体業界のお話をしたわけですけれど、半導体業界のTier0は、言ってみればIoTサービス企業であって自動車業界では無い。サービスが求めるものに合う「最善」のものを創り出して提供するのであって、サービスを低下させる機械製品に何故搭載しないといけないのか?

悲観しているのではない。最悪の事態を考えれば絶望しかないわけだが、考えている最悪が、本当に最悪なのだろうか?最悪の事態を語ることすらタブーみたいない風潮があるわけで、まぁ、そんな風潮は無視して行動していきますけどね。何故、過去に戻らないといけないのか?そんなに良かったですか?延々と通勤列車で窒息しそうになる毎日が?会議漬けの日々が?決断しないリーダーのあり様が?