非可逆社会に向けて

シゲティは自らが演奏するべき作曲家を定め、自らの硬い意志を曲げること無く、伝えるべき真正を後世に残した点において偉大である。山で遭難したとしよう。方位磁石もGPSも持ち合わせず、地形図も無い(そんな状況はあり得ないというつっこみは無し)。突然、快晴になり、山の木々が無くなったとしよう。今の立ち位置を確認でき、進むべき方角が見え、落ち着きを取り戻し、冷静に次に取るべき行動、即ち、未来への指針が見えるだろう。シゲティのレコードはそんな気持ちにさせてくれる。普段は聴かないが、年に数回聴くことになる。

道標が欲しい訳ではない。しかし、無意識に身に染み付いた何かを払い落とすには十分な効果がある。1900年を過ぎた辺りで脚光を浴びだした方だから、もう100年以上も前の演奏家であって、電気録音が実用化された1924年以降は、巨匠の独りでいらっしゃったわけで、聴かせて頂けるのはその頃の盤だ。きらびやかでもロマンティックでも無い。しかし真実はそこにある。恐らく、ベートーヴェンはこう語りたかったのだろうと感じる。そんな演奏を今に残して頂いている。科学者にはなかなか難しい芸当である。

この技術発展の時代であっても、新しいと感じる技術は出てくるわけだが、それを構成している要素技術は既知のものであることがほとんどである。軍用に開発されたものが突如として民間に降りてくると、恐ろしく正確なGPSが迷子を減らしてくれるとかね。この誰かが開発した技術を果敢に取り込んで、今の最大の利益の根源を失ってでも新しいことに挑戦しようという勇気のハードルは、大企業であればあるほど高くなるのは理解できる。何千人も解雇しないといけないなんてことになるからね。何千人×家族の人数となったら凄まじい影響力だ。でも、世界はそっちに向かっている。その人でしか出来ないことを多くの場を通じて、世界の人々と共有するべきという地球規模の国家形成に向かっているわけだ。

ガラケーが一夜にして霧散した如くに、100年、普遍の自動車の儲けるピラミッドの頂点軍団を見ていると、どうなっていくのやらと思う。安全性を高め、環境対応もしてきた。しかし、その外側には、移動しなくても今まで以上に便利な環境が構築されてきている。お取り寄せ分化に併せて、送り出し分化も発展するだろう。まぁ、馴染みの赤ちょうちんを潜りたい欲求は極めて大きいわけだが、そんなものが究極の贅沢と思ってしまうようになってきた。アップルは20年間、売った自動車に責任を保つのかと、某社のリーダーは仰るわけだが、古くなったテクノロジーにしがみつく時代は去ったことに気づいたら如何か?それこそがアフターコロナの本質だ。逃げられない。