そこにある

「月がとっても青いから・・」と真逆の宇宙のイベントに参加できたのは久しぶりだ。その間に日食などもあったから、もう忘れてしまった。ひょっとすると月食などは、まぁ、そこそこ出会うことが出来るので、見ていても感激すらしなかったのかもしれぬ。それだけしらけた年寄りになったということかもしれないが、今回の赤い月はそれなりに楽しめた。下弦の月の状態で欠けていく様は、なんだか愉快であった。太陽が西から登るような、そんなイメージだ。

白色とまではいかないが、白み掛かった月が、僅かな時間の間に赤く変わった。日陰でありながら空気によるレンズ効果で、大気を透過した赤い成分が月を赤く染める。原理はそうだが、実際にそれに出会うとなんとも愉快だ。赤い月を取ってくれと言いたくなる。薄曇りの名古屋地方、なかなかにして良い鑑賞空間であったと感激する。月夜見尊もなかなかやるわいと、冬の空に赤い月とはなかなかにしておつである。

と、闇夜にカラスでは無いけれど、皆既日食だがそこにあることがわかる。巨大な星と強烈な太陽光の成せる業だが、これが日中の星であればどうだろう。近所の火星や金星の闇夜の輝きですら消されてしまう。あるのに無い。いや、あるのに見えない。見えないけれどある。これまたなかなか面白い。駄目なものは駄目という理屈は好きだ。ただ、それには精神的に受け入れられる場合に限る。現実の問題となれば、駄目と言っているのはあんたの都合でしょ、定量的な評価結果を示して頂戴と言うのが普通だ。

闇夜だから見える。明るいから見えない。大声に消される正義の声に似ている。気に入らないから気に入らない。僕はあいつが大嫌いだからその組織も嫌い。そんな会話を思い出した。夜空であっても見えない星も、実はそこにあるのだ。あるのであれば、それは何かを為すために必然的に存在しているのだから、見えないからと意識から消してはならぬ。一人には思いつかない。しかし、真っ当な多くの声があるからこそ救える心理があるやもしれぬ。それを大切にせねばならぬ。強い声だけに従っていては政は成り立たぬ。無い星は見えないだけ。心が曇っているだけと、自らに言い聞かせる私であります。