客観視

小生の先輩の方々はリアルでご覧になられていた「これからの30分間、貴方の目は貴方の身体を離れてこの不思議な時間の中に入っていくのです」というあれ。ウルトラQということなんですけれど、とあるつまらないことを考えていたら、このフレーズが蘇ってきた次第。震災復興などのお話が出ると、小中学生がTV画面に出てきて、大人の人批判を展開する。マスコミはそれを面白おかしく、さも、自分達が子供代表の如くにまくし立てる。で、大人ってなんだ?子供ってなんだ?と何故か考えたわけですな。

子の親になっているから、それは大人かと言われると、それは違うだろうね。ネットで検索をしてみると、出てくる出てくるいろんな意味が。大人とは一人前の大人みたいなことを言われてしまうと、苦笑するしか無いが、経験のある年配とか、指導者的人物と言われると、成る程なとやや納得する。では、経験とは何を経験してきたのか?指導者的って何をご指導いただけるのか。ご指導ご鞭撻の程などと、定型文的なものが出てくるわけだが、誰も経験のない未来に対して、誰が経験していて、どんな指導を与えて頂けるのか?

新たな価値の創造なんて簡単に文章化出来るのだけれど、そんなに簡単な代物では無い。
小生も年齢は無駄に重ねた気がするが、人を指導できる経験なんて何もないわけだ。大人かと言われたら、大人ですと言い返す自信はない。と言うか、言えないですよ。根拠が無いからね。そもそも大きな人ってなんだ?大小が問題か?それこそ臍が茶を沸かす。なんなんだろうと思った時に『客観視出来ること』かなぁって漠然と想った。自分をどれだけ他人の目で冷たく見つめられるか。その冷たさがある臨界点を越えたら、大人の領域なのかなと?

そうしたら「貴方の目は・・」を思い出した。目が身体を離れる、自分が何をやっているのか見つめることが出来る。自分が見ているのではない、行動している自分を、それが誰だか全く知らないもう一人が見つめて批判している。自分が可愛いから恐怖がある、恥ずかしいという気持ちが生まれる、悔しさも出てくる。いや、他人となって見つめてみてごらんなさいよ、大したことやってないから。大したことをやらない人だから大人なのかもね。経験してきたものに引きずられて自分に縛られる、思考停止する。大人には成りたくないものだ。子供で十分だ。