必要ですか?その会議?

突然電話が鳴って、相手先から新しい情報がもたらされ、直ぐに意見を求められる。これは相当に緊急のことで、声のトーンで重要度が測れるし、そもそも代理やテキストでは無く、生きた声のやり取りであるから、こちらも身構えて一瞬に答えを作り込む。このやり取りにおける緊張感は凄まじいが、その一瞬で終了するから、だらだらとした思考を要求されることが無く快適ですらある。電話が無くならないわけだ。親密な間柄であれば画像は要らない。

定例会議なんてのが未だにいくつかあるが、最近は、議題がしょぼいからメール会議にしましょうなんてのも良くある。要は、規則があって会議によって決定されないといけないからそれを実施しているだけであって、既定路線の追認を求められるような無駄な時間のことである。毎週の進捗が斬新で、定例的に確認しあっておかないと何が何だか分からなくなってしまうようなスピード感のものは、定例で確認し合い、方向性を決めないといけない。要するに新規に決める、決断を求められる、これが会議だ。

酷い会議になると、議題提案者がアジェンダを作らない。落としどころが決められていないのだ。何も既定路線を作ってこいという事では無い。この範囲で議論して頂いて、この方向性の決定をして頂きたいという、予算を持っている人間が、その予算をこんな方向で使いたいが、更にブラッシュアップしたいから意見をくれという会議は間違っていない。これも決定事項があるからね。参加して愉快である。

最悪なのは「これこれについて考えてください」という、会議招集者が何も考えていない事例だ。実はこれが一番多いから嫌になる。何だか知らないけど集められて、何をするのかなと思っていると、いきなりどうしましょうと泣きつかれる。いい加減にせぇよ。そんな輩に限って、何かを言うと、「そういうことでは無くてですね・・」とまぜっかえしてくる。同じ空間で時間を共有したくない。会議を止めてごらんなさいな。本当に必要であったかどうか分かる。自分が責任を取りたく無くて人を集めるならお止めなさい。責任を取りたい奴なんて誰も居ないから。あきれ返る。