奥歯に物を挟んでみました

鶴舞大学にもひたひたとコロナ禍の波が打ち寄せてきている。年齢的にワクチン接種対象者は多く無いので、事業所として極めて危険な環境であることは間違いない。国の助成が無い状態で、学生君達のアルバイトを止めろとは言えず、ウイルススプレッダーとして無意識に機能化してしまっている状況は否めない。こうしてだらだらと場当たり的対応で過ごす毎日に辟易する。

海外に目を転じると、インドではコロナ禍が原因と考えられる死者が30万人を超えたとのこと。人口が10倍以上ある国ではあるが、凄まじい数である。過去のお話をしても無駄なのはわかっているが、コロナ禍が始まった頃、単なる風だから全員がとっとと感染して免疫を獲得するのが良いのだと、大きな声の評論家が大勢いらっしゃった。ネットやテレビの情報が如何にいい加減かということだ。

コロナ禍に限らず、この情報の発信とその影響に関して、気を付けなければならないなと改めて思う次第である。自分が考えたのか、他人が考えたのか、少なくともそれを明確にして発信する必要がある。聞いたことを自分のものの様に広げる輩が多いが、この情報があっという間に広がる世界において、その態度は極めて無責任と言えよう。定量的な証拠であっても、その定量が性格なのか、そもそも証拠と言えるのか?関係性なのか因果なのか?

見えないから怯える。見えたら怯えないのか?見えないからどうするのか?諦めるのではない。取り敢えず、良しとされている活動を地道に取り組むしか無いではないか。それでも駄目なら仕方が無いのだ。どう対処するのか?どう考えるのか?後になって、「あの人は、あんな場面でこんな対応をしていた」と必ず叫ぶ輩が出てくる。今の行動は何故最善と言えるのか?全ての人々が問われる問題だ。