プレゼンテーションって?

プレゼンテーションは難しい。独演会が多いのだが、合同で何かを話すとなると、司会から話し手まで、想いがばらんばらんの事が多いわけですな。司会者のお役目はとても大きくて、これからどんなゴールが提供されるのかを、聴き手の腑に落とさないといけない。それが出来ないとこれから実施されるプレゼンテーションパッケージは謎に満ちたものになる。いや、何の意味も無いものになる。

緊張してマシンガントークになる、これはしょっちゅう体験するものだ。若手がマシンガンを撃ち始めるのは、その昔を思い出して微笑ましい。それは良いのだ。誰もがそうなるのだ。歌舞伎の世界であったとしても、血統が良い方がどんなに鍛えられたとしても、檜舞台のプレッシャーを感じるのだそうで、お師匠さんの逆鱗に触れるものだそうだ。この逆鱗までがパッケージとなっているから、その後の成長は著しい。

ところが年を重ね回数を重ねても、言っていることに「Yes」と答えられないプレゼンの何と多い事か。何故、プレゼンが下手なのか。たどたどしいとか言い間違えるなんてのは気にならない。主張が話し手の腑に落ちていない。それが一番の元凶だ。何言ってんだろうというプレゼンの原因はそこにある。では何故、前準備が出来ないのか?それは前準備の質が低すぎるということに尽きる。どんなに竹刀を振って鍛えても、日本刀を振り下ろされたら一撃だ。お金を払って頂ける聴衆を前にして、そのお金に見合う以上のお土産をお持ち帰り頂けるか、その心掛けが必須なわけだが、自己満足の練習しかしていないから絶対に相手に伝わらない。

お金を頂くプレゼン以外に、プレゼンのトレーニングは無い。聴き手に損をさせてしまったという反省以外に、聴き手に「あなたの主張に賛同します」と言わせることは出来ないのだ。もう一つ、聴いて頂けるプレゼンが出来ない人は、人の話を聴くことが出来ない。ほら、身の回りを見てごらん、何を言っているか分からない人って、真剣に話を聴いてくれないでしょ。話し上手は聴き上手って正しいですよ。話し手良し、聴き手良し、社会良し。ここでもやっぱり三方良しなんだけど、その根幹にプレゼンテーションがある。そんなところだ。