夢見てますか?

ぐるぐる回る刃物のようなものが、どんどんと硬い金属に穴を開けていく道具を作った夢を見た。片手で持てて、鋼鉄の板を自在にくり貫いていく様は心地良く、目が覚めて誠につまらない思いをした。まぁ、上手くいきすぎて、目覚めた方が気が楽だったかもしれないが。何を言いたいか、人は何故、子供の頃の夢を捨てるのか、忘れるのか、そして子供の頃に夢を見ないのか?

理科教室で出会う小学校1年生の夢多き事!そして斬新な発想であること!なんと美しい目であることか。それが新社会人になると、なんだか曇った顔でおどおどして、おはようございますも出てこない。上司から目を逸らし知らんぷりして、足早に部署に散っていく。一体、いつからそうなってしまうのだろう、そして何故なのだろう?

小生など、がきんちょがそのまんま巨大化しているものだから、未だに小学校に上がる前に「こんなことが出来たら良いな」って想いを忘れずにいますよ。だから粘り腰で研究を続けているものの、そうしている内に、新しい素材などが出てきて、やっぱり面白がってあれやこれやといじってしまう。そしてまた、新しいアイデアが生まれてくる。その繰り返しだ。

金太郎飴なんですよ。根岸に未だに金太郎飴屋さんがあるのには驚いたが、教育の仕組みが金太郎飴で、そして教育する意識も金太郎飴製造なのだから仕方が無いか?子供の成長目線では無く、指導目線での金太郎飴製造教育の被害者が社会に溢れているのが日本の現状であろう。良い驚きを自らの意欲の連鎖に繋げ、そして失敗してもくじけずに笑顔で前に進む。そんな教育の意識改革こそ重要であって、政治家があれをやれこれをやれとレールを敷くおぞましさよ。夢、あって良い。それで良いのだ。