身の丈

身の丈に合うと言うと、日本人は「分相応に生きろ」ってなんだか悪い意味に捉える傾向があるように感じる。身の丈を考えろとかね、悪口にしか聞こえない。それではと、自分の身の丈一杯って何処にあるんだろうって考えたことありますか?相手の身の丈なんて見下して発言していませんか?各自の身の丈って、結構高いと思いますよ。粘り強くてストレスに耐え、何かを成す。発言者にとっては「くだらない」と感じることでも、言われた側の世界においては「ナンバーワン!」かもしれないよ。身の丈を甘く見てはいけない。

組織となるとこれは更に難しい。「これは無理です」とか、「出来ません」って平気で言うんだけど、組織力こそ甘く見てはいけない。組織の身の丈ですよ、これはかなり大きい。だって、大きくするために組織化しているんだもん。自分達の組織の力を目いっぱい社会に向けて発現させていますという組織体を見てみたいものだ。多くの日本企業が消えていくのも、自社の身の丈をしっかり見極めなかったからだよね。身の丈の力をリーダーが引き出し切れなかったから。

組織の身の丈を構成しているのはやっぱり人なんですよ。一人の人は勿論の事、その繋がり、そして繋がりの連鎖が作り上げる身の丈は凄い。大学の学科なんて、何々の学問を身に着けたから卒業証書を出すってライセンス認証してしまえる程だ。最近はその質保証も求められるようになっているわけだが、そこに携わる人々は、それに恥じぬ働きをしないといけないのは勿論だが、お互いを高めあう工夫を新しくし続けないといけないし、それが組織力となって承継されているかも感じなければならない。

何かね、東京でオリンピックやるよと決まった時には、福島で溜まり続けるトリチウム水をどうすんのかななんて思って大丈夫かなと感じたものだが、今はコロナ禍対策が不十分なまま実行すると決定されたわけで、身の丈、解ってないなぁと思ったわけですよ。身の丈に合ってない決断をした国家の気がするわけだけど、まぁ、粛々と、身の丈をしっかり見定めて、挑戦を続けようと思うだけの私であります。