昨日も東京に出掛けたのだが、品川で降りるホームのなんと大きな荷物を引いている海外からのお客さん達の多い事か。1970年代のハワイ日本人観光客の爆発もこんな目で見られていたのかしら。ジャルパック爆弾と呼ばれ、いたるところで弁当を広げ、日本人はマナーがなっていないと叫ばれた4~50年前。どかぁんと長い足を投げ出して頂く光景は、美しいとは映らない。今の若者から見たらどうなのか分からないが、そんだけ歳月を重ねちゃったと言うことかなぁとしみじみしてしまいました。
帰り際に東洋経済の「大学が壊れる」という見出しに引っかかって、久しぶりに一般雑誌を買ってしまった。新幹線で読み始めてみると、当たり前なんですけど一方的な見地で、文科省が財務省から金を取れないから学術技術が育たないのだという論調。また、東大を始め、帝大機構(小生が勝手に言っているだけでそんなものは現実には無いですよ)にどどぉんと金が落ちている割には論文が出ていない、だから細かく地方に金を撒けという偽善的発言のオンパレード。
撒き方よりもむしろ文科省に財務省にアピールさせるネタを出さない大学が悪いのであって、それを差し置いて金だけよこせと言ったって現実味はゼロだね。ポストが無いということで、それは事実だけど、法人化されているから大学だけにポストを作れというのもこれまた無理な相談だ。任期制は確かに厳しい。若手が元気に研究出来ない状況は実感しています。妙な会議が無尽蔵にあって、また、カリキュラムが細分化されていて、教育貢献を相当に求められる現状は、小生の20代後半とは随分と異なっている。
もう一つ感じているのは、国際的に学会活動が下火になっているわけでは無くて、それぞれ尖がって深い議論、広い議論がなされているのだけれど、それらに横ぐしを刺す活動が無いこと。現代の中国では人口とお金の両刀使いで一国で世界の問題を扱えて、しかも政府の後押しで横ぐしを刺してくる。そうすると新しい発想がどんどんと生まれてくる。結局、最後は政治に行きつくのだけれど、若い当事者たちは無関心を決めつけているからね。ポストが無いとか言っているなら、国をどうしたいのか発信もせずにぶぅたれるのはナンセンスだ。ただ、発信しはじめるとあっちからもこっちからも色々とお話を頂いて、結局、やっぱり、きつい毎日の私であります。