楽しい大人ですか?

量子という単語が経済的新聞にも踊るようになって数年経ちますな。世界的にはかなり大きな投資が国から成されているわけですが、後手後手のこの国では「正しく評価しているのかしら?」という程度の投資しか無い。それを見るにつけ、悲しくなるわけですな。悲しい国になってしまっているなと。前向きに成長している国に見えないわけですよ。人は減り続けるしね。国会は閉じちゃうし、マスコミは毎日同じことを繰り返す。国民にすり込む役を果たしているんだろうなぁと理解しています。

皆が平等に競争する環境は正しいですよ、でも、これだけ世界に置いてきぼりを食って居る状態においては、思い切った「正しい不公平」に挑戦しないといけない。これが我が国の最も苦手とするところでは無いか?全ての人に公平というと聞こえは良い。勿論その前提には様々な弱者は優先的に「正しい不公平」で救うことは論を待つ必要は無い。競争力はあるけれど、口を開けて待っているだけの人達とかね、何で平等に扱わないといけないのだ?挑戦しようとせず、待つのみの悲しい大人を何故救う?

弱者という点において、憲法解釈で男女別姓とかね、世界では当然の如くに認知され進められているのに、この国では忌み嫌われる。女性天皇にしてもね、過去あったわけでしょ?何で今、認められないのか、これも全く分からない。そもそも男女共同参画なんてことが話題になること自体が恥ずかしく無いのか?当たり前すぎて話にならない。当然のことなんだけど、間違った不公平の思想なんでしょうな。千年前には政治家の教育係が女性だったんだ。

現実を見渡せばおたんこなすばっかりで、頑張ってみようかなって気力も萎える。それは理解できる。その通りなんですよ。だからこそ、正しい不公平が良い。強い人が弱者の新しい挑戦を潰し続けるこの国のあり様を変えたいじゃないですか。「過去を全て知っている」みたいな超人が現れて「お前のやろうとしていることは駄目なんだ!」と叩き潰して、こっそりアイデアを盗んで金儲けをする。その輪廻はいつまで続くんだろう。悲しい大人の国から夢のある子供の国で良いじゃないですか!楽しい大人になりましょうよ!!