技術は人に寄り添わない

無くならない自動車事故。東北で16台が絡む事故が吹雪の中で発生した。ホワイトアウト状態だったというが、環境がどんな状態であっても、ぶつかってはいかんだろう・・と思うのだ。それが技術というものだ。路地で人同士がぶつかって大怪我を負うこともあるが、それは人間同士の行動であって、ミスをする人間だからこそごめんなさいで許し合うしかない。人間の能力を超えたもの同士がぶつかり合ってはシャレにならない。そんなもの使ってはいけないということだろう。

秋田に通うようになって実感したのがホワイトアウトの凄まじさ。雪の遮蔽版があろうがなんのその、ミクロな切片が空気を遮断し、呼吸困難に陥る程だ。その中を車で出掛ける神経もどうかしていると思うのだが、便利を人は捨てないから、結局のところ不要不急の用事であってなんだか出掛けてしまうのだろう。人間の目では分からないのだから、車に頼るしかない。しかし車はそこまで進化はしていない。だからぶつかり合う。

危険なことは分かり切っている。道路を遮断するという手法もあるが、愚かな人類はそんなことはお構いなしで出掛けてしまう。そして何千台が数珠つなぎという頓珍漢事件が先日起きたわけだが、やっぱり人間そのものの危険回避能力というか、DNAというか、自分の身は自分で守るという基本的能力が欠落し始めているのではと感じる。これはまずいだろうという状況でも行動してしまう。そしてそのいい加減な人間が作った道具を信じてしまう。ネットの向こうの活字を信じてしまうのも人間の愚かさということだろう。信頼し合う前に信じてしまう。

これこそが油断であり、己惚れである。自分だけは大丈夫だろうという不可思議な思考こそ、怪我の出発点だ。怪我で済むなら良いが、命を失うようなことに繋がるから恐ろしい。人間同士が頑張り合って信じあうというのが無限に増殖する生命としては基本なのだろうが、自滅しあって数を減らすというもの実は自然の平衡性にはあると言われている。同一生命体が鶏に次いで2位という状況は、これはやはり異常なのだと思ったりもする。人が人として機能しあい、平穏無事が保たれる。そんな日が本当に来るのかしらと、元気よく咲き出した梅の花を愛でながら、ちょっとだけほっとする私であります。