いろんな敷居

昼間に大学の外をうろついてみると(お仕事ですよ)、いろんな光景が目に入りますな。その昔、象牙の塔とか言われたわけだけど、それは今も変わっていないのではないかしら。内向きで排他的って思われているんでしょうね、大学。そんなことは無いのだが、それでも中々にして敷居は高いと感じられてしまっているようで。下げるばかりが必要という事でも無いが、それでも地域の知恵のデパートとしては、入店して頂かない事には話にならない。

大学の研究者って、何かに取り憑かれたみたいに研究に没頭して、ひたすら考えて、自分の殻に閉じこもってそれで一生を終えるみたいな雰囲気有りますからね。今はかなり変わってきたかなとは思いますけどね。それは単に事務作業が多くなっているとか、入試のお手伝いとか、業務が多いから研究に専念できる時間が大幅に減ったという事にも起因するでしょう。また、授業も沢山あるしね。

今、感じているのは日本人の博士課程学生が激減しているということ。勿論、留学に来て頂く海外の学生さんも素晴らしいのだが、日本の税金で母校愛に満ちた求道者に集まって欲しいと率直に思うのだ。これにはいろんな敷居があって、そもそも工学部は修士課程くらいが就職先が沢山あるしね。そこで大学から脱走してしまう。学費の問題もあるしね。博士課程時代に共同研究で企業の内情を知って、その企業に就職する方もいらっしゃるが、
一方で、日本企業の挑戦をしない姿勢を間近で見て、研究者の道を選んだものの、結局パーマネントポストが無くてというパターンもある。無理に進学してとは言い難い現状だ。

それもこれも、国にお金が無いからいかんのだ。中途半端なお金の掛け方で、「これだけは世界一にするのだ」という政治家が居ないからいかんのだ。平たく全員が貧乏になる国。そんなことで良いわけ無いのだ。ただ、その根幹は教育の質が低いからだ。もっと深く学問に没頭するような学生が大学に来ないといけないのだ。そう言われ続けて一体何年が経過したのか。日本、まずいっすよ。