ぎりぎりの状況で自分が出せる。これは本物である。実に見事な本物を拝見した。彼らと出会っているのは6年前で、かなり接近したのは5年前。更に接近して昼夜を問わず会うようになったのは3年前だ。それがもう卒業かと思うとその早さに驚かされる。余りにも見事なプレゼンに思わず書き出してしまった。そしてなんでこんな遅い時刻に更新かと言えば、つい、さっきまで床で寝ていたからだ(^^;)
思い出はしょぼいものだが、小生にも記憶の糸のシミ程度に大学生時代というものがある。あるかもしれない。いや、もの凄く濃く残っている。だからこそ、学生君達には濃い時代を過ごして欲しいと願っているし、それが日頃の付き合いに出てくるのだろう。基本、18歳でスタートする学生時代でありとあらゆるとまでは言わないが、今はそんな奴見たこと無いみたいな時代を作った。
3年生までの講義の風景もいくつかは思い出せる。それは極めて特徴のある教官の講義か、ほんの一言の強烈なメッセージだ。その瞬間も思い出せる。如何に、情報量が少なかったかということなのだろう。旅をするにもサイクリング、電車の旅程は時刻表。パソコンなんてありゃしない。ネットだって無いぞ。だから読んだ本、受けた講義が頭に刻まれるのであろう。
刃の食いしばりと血の滲みというのは炎の転校生の一シーンだ。男の生きざまを表現しているのだが、そんな一こますら人生の教師になってしまう。情報大洪水の状況で、小生は創られなかったかもしれない。情報が飛んでいく速度が遅かったからこそ、じっくりと思考できたのだろう。昨日は、この情報洪水時代においても刃の食いしばりと血の滲みを実践した者と時を同じくできた。感激である。