どうなのでしょう、ガキンチョの頃に、風呂場に小判型の軽石がありましたよ。普通に薬局に売っていたし。踵とかを擦って角質化した皮膚を削り取るとか、今思えば「機械研磨」を肉体に施すのが当たり前の時代だったのですね。庶民の間だけなんでしょうけど。今、太平洋岸を騒がせている軽石だけど、そうやって世の中の役に立ったことだってあったのだ。悪者扱いばっかりだけど、人間の都合だなぁと思いますよ。言いたいことは山程あるけど、基本、自然現象だからね。自分達だけ助けてくれっていうのはお門違いだね。
新聞のTV欄を見てみると、京都観光を想起させるような番組から、名物の話やらで、観光で儲けようという方々向けの番組ばかり。モノづくりを啓発するような番組が流行るわけもなく、まぁ、面白く無いからね。一緒にメモリー作ってみませんか?って言われたって、作業は機械だけだし、人間がやることと言ったら、機械の故障監視と歩留まりチェックくらいかな。それとて機械がほとんどだ。何しろ肉眼で見えない世界だからね。でもその肉眼で見えない世界が商売になるというのが面白いではないか。
残りの人生を考えると、かなり短くなっているのは間違いなくて、そんなことだからどんどん断捨離にチャレンジしている。明日死ぬぞって言われていないもんだから、なかなか思い切れないんだけどね。それでも古い電脳を一掃したのは勇気そのものですな。現行iPhoneから比べれば、いや、比べるなんてとんでもないレベルなんだけど、それが出張先で大活躍してくれたっけなぁなんて思い出してみると、なかなか断捨離できなかったのだけれど、まぁ、人生、そこまでだなって期限が切られてくると思い切れるものですな。
軽石から話がぶっ飛んだのだけど、「たまたまこの100年間」に生じなかったって現象なだけなんだよね。東北震災の余波なんでしょうけれど、プレートを固定させていたところが剥がれたからか、日本周辺のあちこちが元気ですな。そうなると気になるのがご当地大地震エリアの東海・東南海地震ですな。あまり来て頂きたくは無いけれど、こればっかりは防ぎようがない。軽石よろしく、地上においては土石流は当たり前、もっと酷しい雰囲気なって生きていられるかさっぱりわからない。だからこそ、日々最善を尽くすことだ。サボっている場合では無い。日々是精進。きついだけが人生だ。そんなもんだ。