見ているものは真実か?

新規感染者が150名程度となった昨日、世界では新たな感染者が爆発的に増え続けているニュースを見るにつけ、こりゃ一体何なのだと首をかしげる。経済的に豊かな国で新規感染者が爆発的に増えていく。数字はそうなのかもしれない。感染爆発継続の国と我が国との差異が生じる根拠を「マスク、手洗い、そして真面目」に求めたい為政者だが、経済的理由でPCR検査が有料になって、その高額故に検査数が減少したからという考え方もあって良い。そっちのほうが腑に落ちる。日本人だけが真面目?とんでもない。自分の都合の良い根拠を集めているだけではないのか。

科学的根拠が無さ過ぎるのだ。そりゃぁ、そんなもの100年前には無い方が当たり前だったと言われてしまうかもしれない。疫病の大流行を経験と勘だけで切り抜けたではないかと言われるかもしれないが、今は、そんな時代では無い。徹底的に研究費用をそこに投入しても良いのではないか?地球温暖化云々言っている間に、電力不足で様々な機器が停止し、新規能力を持った電子デバイス開発も止まっている。研究開発は止めると再起動しないのだ。都合の良いデータだけを獲得して、それを後ろ盾に科学的根拠と言う。愚か者の戯言だ。

数字を見て判断する。間違った行動では無いだろう。毎日、新規感染者が激減しているグラフを見せつけられる。マスコミの洗脳力には感心する。連載漫画の様に無意識に見て「減っているな」と思う。数字はそうだろう。でもその数字が正しい根拠はどこにあるのか。定量的な数字を信じるのは簡単だ。しかし、その真実性は別だ。ウイルスがそう簡単に消滅するのか?空気中に漂っているウイルスが可視化出来ていないから、新規感染者に自らがカウントされる日が訪れないとは言えないと考えるのが普通では無いのか?

数字を信じられないのであればどうすれば良いのかと言うことになってしまうが、それは各自の意識の有り様だろう。自らの情緒的能力に頼るしかないということではなかろうか。新規感染者のグラフしか見ていない。それと相関関係にある数値とかね、夜に出歩く街の人数とかね、なんかいろいろ言われているけれど、本当にそれだけで良いのか?と疑い続けることは自由だ。価値観の根拠を何処に持つか、人それぞれだしね。都合の良い数字を見たら「誰にとって都合が良いのか」を考えるだけでも何かが見えてくる。恐ろしい情報社会に生きていることを忘れてはならない。機構長の戯言1000回目を迎えて、時にはまともなことも言わないとね。