たまにはイノベーションを

大学生ということなのだけど、学生さんを社会のカスタマーとするとどんなカスタマージャーニーを想定して、大学はどんなサービスを提供できるのだろうと真面目に考えている。予算・研究施設規模から言うと、西の大国には逆立ちしてもかなわない。だからと言って諦めるわけには到底いかない。日本の大学に残された可能性って、大学単体で考えるのでは無くて、一つは企業に入ってから、イノベーションを担える人材として排出するということなのでしょう。でも、企業さんってイノベーションを社会に創出しようって想っているのかしら?日本の企業殿からそれを感じたことが無いのだけれど。

予定調和というか、弊社の規模感はこうで、ビジョンとミッションがこれだから、まぁ、こんなところで落ち着いた商品を出していこうというか、過去の改善結果だったりしてね。改革ってとてつもなく大変だからね。結局、エクスペリエンス型ものづくりから遠いところに存在してしまっているものだから、開発費用に対して実入りが小さくなって、そうなると、人材にもコストを掛けられず、じり貧モードに陥ってくる。

イノベーションを起こせる人間って、いろんなパターンもあるのでしょうけれど、思考手法を体得しているという点においては、若い内に博士を取得した人間を、海外のアントレプレナー教育現場に放り込んで、そして逆輸入してそれなりの部署で活躍してもらうとかね。どんなに挫折しても、失敗しても良いからねっていうのと込みで何かさせるのが良い。百発百中を期待というか、プレッシャーを掛けて、感動体験に繋がるサービスイメージなんて湧くわけ無いでしょ?荒唐無稽を許さない日本の気風がそもそもイノベーションから世界で一番遠いですからね。

縄文時代の火炎土器とか、室町時代の刀や鎧なんて、イノベーションの塊ですよ。大袈裟なものではなくて、なんか普通にあるのだけれど、それが無いと身もだえする程に残念な気持ちになるものってどれだけ身の回りにありますか?小生的には1924年製のクレデンザのプロトタイプかな?どうでも良いけど、そんなものですよ。高度専門人財では無くて、崇高な感動喚起人財ってところかな。教育現場だけでは駄目で、その知恵を活かせる社会とのペアで初めて生まれるのがイノベーション。箱だけ作って生まれるものでは無い。そういうもんだ。