失敗しなくちゃ

近年の話題にスタートアップ企業をどれだけ世の中に出すかみたいな、競争(狂騒)じみた話が飛び回っている。毎年毎年、その熱が高まっているように感じる。ただ、それが「びっくり仰天」というのではなくて、単に中堅・大企業が雇用する体力が無くなって来たから、若者が自分達で雇用を確保しろよと国が言い出したようにも感じるのだ。何かしらの補助金を出して、輩出したスタートアップ企業数だけを競わせて、本当に国民なり国の世界に対するプレゼンスを向上させる方向を求めているのかと疑念を抱く。

海外との考え方の大きな違いが、「スタートアップは成功するべきだ」みたいなのが根強くあると感じるのです。スタートアップ、ベンチャーなんて、本来、失敗するもんだ。ベンチャーって、それに期待することがベンチャーであって、やっている本人はひたすら必死に突っ走る。だけど、そこから生まれるものが商品にまで成長するかなんて分かったものでは無いのですよ。本来であればエンジェルが居て、1千万くらいで遊ばせてみて、「やっぱり駄目だったのね」みたいなね、そんなことを繰り返しながら、いつかは「どっかぁん」みたいな。単に山師では無く、科学的根拠のある挑戦者ってことかな。挑戦者だから敗北はつきものなんだよね。

夢を語ると「偽善者!」とかね、言われちゃう。夢を見ることが許されない国。そんな国に居たいかと言われれば、居たくないにきまっているわな、そりゃそうだ。でも、問題は、夢を見ている学生君達がどれだけ居るんだろうということ。TVのニュースなどでは小中高校生の選ばれし民達が「こんなに立派な発想で、こんなことを成し遂げました」(本当に凄いと思うけど)とニュースにして大騒ぎするのだけれど、あの子達(今まで表彰された生徒達)って何処に行ってしまったんでしょうか?起業したなんて聞いたことが無い。

大失敗が必要なのですよ。日本の教育に最も欠けていること、それは大失敗教育。わざとでは無いですよ、大きな夢を抱いてもらって、5年くらい、かなりのお金を突っ込んで、それで綺麗に失敗していただく経験。自慢じゃないですが、僕の大ボスは無意識にそれを僕にさせましたね。危うくF棟のもくずになりそうでしたけど、なんとか踏みとどまったね。巨人に「不可能です」と証明した時、何か人生の歯車の回転方向が変わり始めた気がした。そんなちんけな失敗では無く「大失敗」を親も先生もそして自分自身も許せるような教育に向かっていかないと、文明開化なんて起こらないんでしょうね。スタートアップなんてそんなんで良いだと思う。失敗させた数で大学を競わせる。それくらいの遊び金が教育費として計上されないとね。本気でそう思う。