大学教員は「教育者」であり「研究者」であるわけで、研究者の顔で論文を書くわけだ。勿論、教育学という観点において教育をネタに論文を発表される方もいらっしゃるわけだが、教壇で論文を執筆しているわけでは無いから、恐らくなのだけど、教育を研究してそれを発表されているのだと想っている。この両方の顔は、結局のところ大学という組織に属しているわけだけど、研究者の思考って、学会の一員って思ってしまうので、大学を通して「頭の中身」まで社会の共有物って認識に至っていらっしゃる方って、ひょっとすると少ないのでは無いか?
いや、むしろこんなことを語るとミサイルが飛んできそうな気がするが、大学における活動経費(給与からポケットに入れるものは除く)は須らく公のもので、それを活用して得た知識、創いや、むしろこんなことを語るとミサイルが飛んできそうな気がするが、大学における活動経費(給与からポケットに入れるものは除く)は須らく公のもので、それを活用して得た知識、創造した知識は、これは当然の事、公に活用して頂くものである。勿論、ゼロ円で公開する必要は全くなく、社会の価値から正当な対価を大学に入れて頂くのは当然の事である。そりゃぁ「いらない」と言われるものまで無理やり供する必要は無いが、社会から求められ、国のファンドが投入されたのであれば、それまでに構築された知恵を、是非とも社会に還元して頂きたいと思う。研究者だから、金に頭を下げないってことは正しいけれど、その知恵を発揮して形にして下さいと望まれるのであれば、是非、挑戦して頂きたいのだ。
20代、30代前半の方にはそれは望まない。むしろ、思いっきり没頭して研究して下さいとお願いしたい。昨日の話では無いが、ウルトラ失敗出来るのはその頃だ。人生、これしか無い!みたいに没頭して打ち込んでいたら、思いっきり勘違いとかね。そんな事、棺桶に両足突っ込んでからは出来ませんって。その年齢帯の歯の食いしばりと血の滲みこそが、後の肥やしになって、様々な世界の変革を乗り切って、そしてリード出来るのだ。その頃に成ったら、社会への還元の形で知恵をお借りしたいのだ。自分のやりたいことだけやって余生を過ごすとかでは無くてね。
圧倒的に進んだ研究をしていらっしゃると、学会の寵児となって、その世界をリードされるようなるのだが、それはそれで素晴らしいから、そのまま突き進んで頂ければ良い。それは一番、幸せなことだと思うし、とても羨ましい。社会実装を求められたならば、それにも是非ともお力をお貸し頂きたい。自ら起業されて兼業してお金儲けも出来る時代である。様々な方策があろう。スピンアウトされるのも宜しい。是非とも世界をリードする商品・サービスを構築して頂きたい。単にお金儲けだけでは無くてね。そう願いたい。