提案書考

最近、年末に襲ってくるのがいろんな評価書類。束になって襲ってくる。締め切りが厳格で、お引き受けさせて頂いた以上、督促されるなどは以ての外、その為に、他の雑事を早急に片づけることになる。朝から取り掛かって来てうんざりきているので、区切りの良い処?で戯言でもほざこうというところだ。

感じることがあって、科研費の申請書もそうなんだけど、上手と下手の差が極めて大きくなっている。何が言いたいのだ?とか、あんたのオリジナルはと疑念を抱くことが殆どで、この提案は何をどう変えて、獲得した研究資金は社会をどう変えるのとかね、何で提案書を出してきたのという、根本的なところが見えない申請書だらけだ。こんなものの為に、貴重な年末というか休暇(職制柄存在しないけど)を潰さないで頂きたい。

大学、企業を問わず、そこにいらっしゃる人の能力の差なんて殆ど無いんだよ。これやってみたい、人を笑顔にしたい!なんて、生まれた時から備わっていて、何も他人と変わらない。それを「何とかしよう」「どうしたら出来るのだろう」とあがき始める努力から、段々と差が開いてくる。運も実力の内と言うが、それも努力が獲得できるものだからね。そしてそれを延々と続けることだね。どんなに歩みが遅くても、三歩進んで百歩下がろうとも、諦めないで続けていると、何かが見えてくる。

一番違うのは、どの努力の継続が、習慣になっている奴ほど恐ろしいものはないね。提案書の熱量と言うか「これは投資したら何か変わりそうだ」って感じる提案書を書ける人って、やっぱりそんな人なんだよね。バックキャスティングで思考して、美しいと思える未来を描き、それに向けて実現していく。周囲を巻き込める力って、それしか無いんじゃないかな?今を疑って未来に他人を誘う。そんな提案が出てこないかなぁと、ちょっとぼやいてみました。