挑戦とは

土日、マーケットが混雑していますな。小生が活動する時刻帯は、大略、普通に物色できたのだが、何処から皆さん、お越しですか?というくらい、そこそこ早い時間帯から、マーケットに出掛ける方が増えていらっしゃる。う~ん、これを入手出来たら「あれ」を調理していたのにと残念がっても仕方が無い。逆に、「あれ」を獲得していった方がいらっしゃることに感動する。小生以外にあんなものを食する人がいらっしゃるのかと思うと、なんだか愉快になる。農家の方々、もっと挑戦して頂ければ宜しい!挑戦は素晴らしい!工業製品関係者には、爪の垢すら勿体ない。

挑戦である。今の自分から想像もつかない一歩を踏み出すこと。想像出来ないことをするのだから、自らの発想だけで生み出せる者はなかなかいらっしゃらないのかもしれない。そりゃぁそうだろう。そんな人ばっかりだったら、世界がでんぐりかえるかもしれない。でも、それでも良いのだと思うのだ。驚かされる毎日ということであれば、書きたくもないが、妙な暴力的な事件だけだ。こんな素晴らしい事が発生しましたなんてのは、そうそう出会えるものではない。だから尊いのでしょうけどね。

いよいよ、大学において、修了認定に掛かる論文提出の時期がやってきましたな。今年に限っては共通テストの再試験なんて言うことが行われ、「君たちのことを考えているんだから、選挙で投票しろよ!!」って分かりやすい成人18歳化なんだけど、正直、成人ってどんな資格なんだろう。何かが許されるけど、こんな罰則があるのだよという、甘えた思考には地獄があるくらいのことを伝達しないといけないのではないかな?リセットが効かない人生である。真摯にごめんなさいと言えないのなら消えてしまえ。

存在が認識されるようになるのだから、それまでに「これをやりたかった」と正面切って宣言して、それに挑戦する自分元年にしてはどうだろう。人の目が気になるからと思っていても、ちっとも社会から見向きもされない青年時代とはわけが違う。勝手に注目され、そして裁かれる。自分が意識しなくても社会が勝手に意識してくる。時代時代に悩みがあろう。悩みに対するうやむやな行動が認知され判断される。それが大人とするならば、思い切って挑戦しては如何か?挑戦、今でも思う、何と美しい響きか。何故生きているのか?挑戦できるから。挑戦しようぜ!