BuyNothing

メルカリって文化だなと思うのですよ。鑑定団に出てくるような凄まじい代物では無くて、自分には不要になったのだけれど、まだまだ十分に活用できるから、どなたか必要ですか?というオンライン上の向こう三軒両隣。国内外で始まっているBuyNothing運動もその一種だなと感じるのです。本当に良いもので長く使いたいものにはしっかりとお金を使って、それ以外のものには使わない、そして買わない。

経済活動云々が叫ばれるわけだけど、何でこんなにモノがあるのだと呆れかえるのだ。その昔の里山の暮らしは、それこそ里山の恵みを頂いて、それを管理することで生活が成立していた。竹がプラスチックに置き換わったころから、急速に山が荒れ、冷蔵庫が当たり前になると、食材を無駄にし始め、自動車に至っては、莫大な燃料を一人の移動の為に使う。無駄遣いの結果が経済発展だとするならば、それは是正するのが必然だろう。何も買わない生活は考えられないのだけれど、ちょっと必要だななんてものは貸し借り出来ればそれに越したことはない。

大学の実験装置や元素原料なんてものは正にそれで、都市鉱山化している小生の部屋の原料などは、お若い研究者にどんどん持ち出して頂きたいものだが、「そんなニッチな元素は使わないよ」って言われそうだな。ベテランの先生方がご退官される時に、廃棄物置き場に何往復もされて、宝物の様な装置を廃棄されるのを見て胸が痛くなる。かく言う小生も捨て始めたのは事実ですけどね。それでも新しい研究をしようとするとBuyNothingというわけにはいかない。

現在、20歳をちょっと超えた方々と、まぁ、今のご時世だからオンラインでのお付き合いがメインではあるが、話をしていると拘るところはとことんだなと感じる。生活スタイルまでは解らないが、丁寧に選択して限られた物品で生活をしているのではなかろうか。いつまでも薄利多売で、壊れる部品のサブスク商売で儲け続けようとするのは、人種転換が生じている現在、もう無理だと感じている。感性を刺激する、一品物に近い商品展開に向かわないといけない。人が人の笑顔に関わっていくことが出来るか?人が人らしく生きる本質を追求したい。