職人DX

海外の超高級時計を拝見すると目の玉が飛び出る。何処に向かって?プライスタグ。時刻を知ることの必要性に対して、凄まじい付加価値価格である。それなりの価値はあるのだろう。私には全く興味は無いのだが、拝んで購入される方が世界には大勢いらっしゃる。批判するわけではない。立派な経済活動である。価値に見合う料金が設定され、それに支払いが成され、その時計は支払った者の所有物となる。価値を購入するという正しい思考だ。

最近では新聞紙上では見かけなくなった下請け体質という表現。下請け企業は注文主が決めた卸値が全てであって、注文主に対して価格交渉をするなどもっての他。他者との差別化は明白なのに、その技を価格に重畳させることが出来ない。技を必要とするから注文しているのに、自己都合の利益目標を押し付けてくる。そりゃぁ求める側が価格を決めるのはそうだろうが、価格交渉の余地が与えられず、職人がプライドを持てる給与が与えられないのがこの国の有り様である。

戦前・戦後の住み込み労働は「家族的経営」で義理人情ベースのサラリー体系が組まれたわけだが、それが独立した企業においてもその流れが断ち切られず、職人側から自らの技術に付加価値を乗せる気風は生まれず、注文主はそれを認めてこなかった。仕掛けは簡単、最終的な価値を共有せず、形状だけを買い取りの閾値においておけば、作った精度が生み出す社会価値が解らないわけだから、自分達の技術に価値を見出すことが出来ない。見事な仕組みである。利益独り占めの構造は見事である。

感性や経験が買われる時代である。価値を形にしてきた職人技が消えていこうとしている。ロボットに代替される程度の技術であれば無くならなければならない。一方で、織物生地の風合いと言ったような、エンドユーザーが感激する技が消えて行っている現状は見過ごせない。ほんの一例である。廃業で失われる文化を無くしていきたい。正しい価値を世界に発信し、価値の理解者と組んで、若手スタートアップが技術承継するなどの仕組みをアシストしたい。そう想っている。