今日は新しいはず

いろんな方が「威張って」これを『やれ!』と叫ぶ。じっと見る。「あれ?それは間違っているのではないですか?」となった時こそ、実はそれが本質的に正解だったりする。まぁ、大略、言われたことは進むべき道では無いのだけれどね。そう、進めと言われた方向が間違っているのは何故か?所詮、人間が定めた方向だからである。もしも道標のベクトルが、人間以外の生命体から発せられたものであったならば?それもまた間違った方向である。

自ら進むべき方向は、自らが決めなければならない。必然では無い、必須なのである。今日が任期切れの日だとしよう。さようならとなるわけだが、クールダウンと呼ばれる日数が決められている。大企業と政府が決めたことなのだが、海外のジョブ型プロフェッショナル制度を適当にあしらっただけの、大企業に都合の良い考え方である。育てることを放棄した考え方だ。

毎日が新しいことが良いのか、永遠に同じことを繰り返しているのが良いのか。どちらも正解の気がしていている。ただ、進化している人間には新しいものが見えるのだと思っている。単にダラダラ過ごしている毎日では、明日は同じ風景になる。明日が待ち遠しく、そして新しく見えたのなら、進化した結果であろう。

何も挑戦せず、新しい明日は絶対にやってこない。今日もきつかったと、今日を振り返ることなどせず、じっと明日を考えてみる。生きているならば明日はくる。人類が生きている間くらいは、地球は回転を止めないだろう。太陽があって、地球が回るなら、明日と定義された時はやってくるのだ。未来は誰にもわからないのだ。わかった顔をしている人がいるが、同調する必要はない。昨日の自分の有り様を決めたのは自分である。だから今日もあなたの今日である。自らを刮目することだ。