やっぱり3.11

西尾君が「津波が来ています」とPCの画面の向こうでの実況中継に見入り、忘れた頃にきちんとやってくる自然に恐怖し、また、これが土地紙様ということなのかもしれないと感じた。大地に感謝することなく傷つけ威張る輩を一掃しにやってくる。ノアの洪水もそうだが、人という人種が感謝の気持ちを忘れると、何処かで神の怒りが大爆発する。この「何処か」というところが問題なのだが、今はたまたま地球の上で、日本近傍で4つのプレートが衝突しあうという地域になっていて地震が必然となっている。

なっているのだからと言って、人工物で津波を避けられるだろうという天狗の鼻折れもいいところ、先人が「これより高いところに住め」という碑を日本中で見出すことが出来るのに現世日本人は己惚れの極致、地震雷火事台風に見舞われる。亡くなられ、ご遺体も見つかっていない関係者各位には心より哀悼の意を表します。残された我々は自然とは何か、生きるとは何かを真正面から見つめなおさないといけません。

地震のお陰でとんでもない無理をしているのだなと実感したのが原発。超新星爆発で生まれた超重元素。そのエネルギーを蓄えた元素を集めて、人間が利用しようというのだから、そもそも宇宙の神への冒涜であろう。人間がなんとかなる代物ではない。身体が取り込みやすいストロンチウムが放射化すれば、それはどうなるか自明の理。なのだが、高度経済成長という、人が作った金が心を蝕む状況は、自明の理すら破壊する。

汚染物質を押し付け合うが、元来、そうなったのは国民の政治への無関心が原因であり、天に吐いた唾が自分に戻っただけのことだ。マスコミなどは偉そうに浪花節を騙るが、政治の圧力に屈している単なる太鼓持ちではないか。無理を通せば道理が引っ込む。偽善者ぶるわけではない。学者として出来ることを粛々と行うだけだ。3.11はこれからも重要な一日だ。何故、それを真摯に想い、人が活き合うことに感謝する国民の日に制定されないのか。不思議でならない。