眉月

眉月を見てふとモーゼの若かりし頃の逸話を思い出した。後のエジプト王と共に学び合ったわけだが、その設問に「次にハレー彗星がやってくるのは何時か」という現代人でも相当に困難な問題があったという。それをモーゼは容易に解いたという。月の満ち欠けと地球と太陽との関係を頭の中で描いてみて、自転がこうで、地球と太陽と月の位置関係の難しさを思った時、次の彗星がいつやってくるなんてことは途方もない問題だなと、モーゼ凄いというか、その回答を見て正解と判断した教官がとんでもなく凄いと思った次第。

御器所から大学に向かう途上に様々な庭木を見ることが出来る。これは季節に応じていろいろな姿を見せてくれて愉快である。庭木であるからその家主の想いが籠っているわけだが、塀を越える背丈になれば一般民間人もそれを見て季節を感じさせて頂ける。今朝は桃の開花を見た。おぉ、昨日の暖かさが正に春を呼んできたかと。満開のまんさくに出会えば間もなく春だなと感じるが、桃に出会えばいよいよもって春である。

東京などは20℃を越えるらしいから桜開花も間もなくというところだろう。その桃の花を見て、モーゼはなんと答えるのだろうかとなんだか旧知の仲のように思ったのだが、とてもでは無いが、あれほど辛い人生を歩むことなどできるはずはない。週末に雨が降るらしいが、何時どんな気象がやってくるかなどは分からぬ時代に、数万人の命を背負ってまだ見ぬ土地目掛けて歩むなどとてつもない意志である。

しかしながらだ、世界の情勢がリアルタイムでやってくる今においては、分からぬ時代よりも厳しいとも感じる。まだ見ぬ時代であればそれに呼応するだけだ。狭い世界しか知らない人は、自らの知恵を世界そのものだと思って後追いの人を叱りつけ威張りまくる。見える世が広ければ広い程、必然、謙虚になり首を垂れる。毎朝、昇る月と季節に応じて咲く花の有難さ。身に染みる。