ものづくりの楽しさは「見える」こと。思うように行かなくても、それが形となって現れる(昇華して消えるという場合もあるが)ことが愉快である。思うようにならないことばかりなのだが、それが何故そうなるのかを思考することが大切だ。独りよがりでは無く、第三者の目を意識することが大切で、一人称の「見える」は、単に思い込みでそう見えるだけ。夜目遠目笠の内かもしれないしね。でも、見えることはとっても有難い。
見えたらそれが本当に欲しかったものか検証する必要がある。とっさの判断では使い物になるのか、論文のデータになるのか解りかねる。この「正体を理解する」プロセスが極めて重要である。繰り返し「見える」ものが出来るのかとかね。偶然が入り込んでいるようでは駄目である。このプロセス程恐ろしいものは無い。冷徹に実施しなければならない。見える部分だけではなく、見えない部分にも探りを入れないといけない。自分を信じてはいけない。理解とは第三者が理解できるという姿勢が必要だ。
理解できたら、えいやっと決断しなければならない。誰と相談して、許可を得てなんてやっている場合ではない。所謂アジャイル開発状態に来たら、それを採用するのかしないのかの決断が必要である。全然実入りの無い展示会にお付き合いで参加している場合では無いみたいなもので、切る必要があれば切らねばならぬ。採用するなら方針を決めねばならぬ。ジャッジは一瞬だ。しかし、その見えるものが活きる場をイメージして、活きている状態をストーリーとして認識し、そのストーリーを採用することを決断するのだ。
ここまで来たらそのストーリーの中で動いてみること。あくまでもアジャイル型なので、動いてみると粗が見える。見えたら「見直す」。するとこれがぐるぐると回り出す。どこかでスピンアウトすると、それが市場における価値となる。そんな流れは海外では当たり前なのだけど、DXってこんなことがスムーズに行われている状態なんですよね。何でも独り占めしてきた日本の風土では無理かなぁ?お若い方々に期待です!